これは一生起こらない/だから無限に夢を見る
極彩色夢絵空事 Deuil vs ASTROLOGIA サンプル

※はじめに
本書は架空のライブレポート(という体の文章)です。
笑って流していだける方にお楽しみいただければと存じます。

ご自身の価値観を大切にしたい方はご無理をなさらず、
この場でそっと閉じていただくのがいいでしょう。

細かいことは気にせず、広い心でぼんやりご覧ください。

「Deuilがツーマン!? ASTROLOGIAって何!?」
 会社の休憩室で私は叫んだ。
 事の発端は某日、タイムラインを光よりも早く通り抜けていった投稿にある。
 ド平日の正午、Deuilの公式アカウントが見知らぬアカウントの投稿を再投稿した。
「Deuil vs ASTROLOGIA ツーマン決定ライブ開催決定、詳細は特設サイトから」
 無意識の内に自分も再投稿と「いいね」をタップし、それからもう一度文言を見る。
 一行だけの文。次にアドレスのリンク。写真も載っていない。
 目を瞬きしながら、投稿を指で上下にスクロールして、もう一度戻る。何度読み直しても文字列は変わらない。
 喉がひゅっ、となった。Deuil。ツーマン決定。配置された言葉の意味は理解できる。そんなことをすることがあるのか、というのがまず最大の争点だが、今その言葉が目の前に現れてしまったので「ある」世界線なのだという事実だけが存在している。
 じゃあ相手はどこだ。ASTROLOGIAなんて聞いたこともない。なんて読むんだ。
 突如として現れた謎の情報に思い切り殴られた混乱のまま、震える指で告知投稿に付随するリンクをタップする。普段の回線速度と比較して異様に時間がかかって表示された先で、それは視界全てに飛び込んできた。
 
「極彩色夢絵空事 - Deuil vs ASTROLOGIA - 」
 
 仰々しいライブタイトルと出演グループ名が堂々とトップに据えられている。そこから少しだけスクロールすると見覚えのあるDeuilの三人と、今の状態からは思いもしなかった人々が現れる。
 ノーヴァ、ベラ、ラーズ、カノープス、メテオ。
 座っていたのに立ち上がった。目の前の景色が歪んだ。 視界と脳が繋がっていないのかもしれない。
「嘘でしょ」と勝手に口から声が出た。会社なんですけど。特設サイトを見たところで混乱は収まらず、氷付けにされたかのごとく固まるほかなかった。
 何が起こっているんだ。
 一体何をどうしたらこの人たちがグループを組んでDeuilとツーマンすることになる?
 ピアノとギターは?
 ラーズは無事?
 意識して目を強く閉じ、深く深呼吸して、恐る恐るまぶたを開ける。薄目で見た画面は変わらない。怖くなって特設サイトを閉じると、まだぎこちなくしか動かない親指でなんとか「無理」とだけSNSに投稿した。
 無理だ。
 私だけが見ている白昼夢だ。そうとしか思えない。最近急に暑くなったから脳が脱水を起こして見せた幻覚。
 投稿済の画面が読み込まれると同時に表示されたタイムラインには「は?」「まって」 「??」「なんで?」「ありえん」「ラーズは大丈夫?」という投稿が立て続けに並んでいることを確認する。
 ああ、ちゃんと全員に見えている白昼夢だったらしい。
 違う、それはもう、現実ということだ。
 
 一瞬で様々な界隈の情緒を破壊していった情報の嵐が過ぎ去ると、なぎ倒されたオタクの困惑と期待と不安の入り混じった投稿がひっきりなしに流れるようになった。私はいつもゲリラでしかやらない、このとんでもないバンドのライブの「チケットを取る」という概念が発生することあるんだってまずウケていた。ウケている場合ではない。チケットを取らないといけなくなったのである。
 思い返せば私はもう長いことDeuilというバンドのオタクをやっているらしい。他のことに興味が移ることも当然あるが、飽きもせずにずっとこのバンドが好きで、ここまで好きってことは多分本当に好きなんだろうし、きっと一生好きなんだろうな、と年を重ねごとにぼんやりとした思考から抗いようのない事実として変化している。
 現実逃避をやめよう。決意する必要がある。わけの分かっていない初動の勢いでやりきらないと、鍵アカウントで斜に構えながら「つーか何これ?」などと文句を言うだけの存在と同類になり果てそうだった。
 覚悟を決めてもう一度特設サイトを開き、肝心のライブ日時と会場を確認する。日時と会場が決まっている安心感ってすごいな、とまだぼんやりと眺めているうち、会場には収容人数があり、この状況で「キャパが足りる」なんてことはないのではないか、という気付きが脳の端からじわじわと浸透し、いきなり冷静になった。
 Deuilって自分たちの動員とか全然分かってないのかもしれない。「この大地すべてが我々の会場」とかいつもリーダーが言ってるが、それは実質外だから収容限界とかない系の意味であり、壁と屋根がある会場には物理的に入れない人が出るという認識をお持ちでない? 急に突然どこかで始まる形式でも異様な人数が集まっているのに、事前に人を集めたら何人来るんだ。
 Deuilだけでもそう思うのに、さらにASTROLOGIAという未知の隕石が投げ込まれているのである。というか何だこの名前は、と検索するとイタリア語の占星術か天文学と言った意味が表示される。アストロロジア。オシャレですね。
悲しいかな理解できることはそれしかない。依然として謎は謎のまま、ひどく丁寧に梱包されている。
 
 ASTROLOGIA──いきなりそんな名前が付いてグループになった彼ら五人は、ポップンパーティーの配信を見ていてもそれぞれかなり人気がある。すでに一人ひとりにファンが存在していることは見て取れるし、私も配信画面を流している最中、彼らのうちの誰かが出てくればおっ、と手を止めて見る、そのくらいは気になっている人たちだ。
 そう、私という極めて平均的な人間が「おっ」と興味を向けているということは、ほとんどの人間が彼らに普通よりは高い好感度を抱いているはずなのだ。それを自覚しているかどうかというだけで。
 潜在的な好感度の高さに可能性という商機を見出した何らかの意図によって結成されたであろうこのグループ、かなり鼻の利くプロデューサーがいるのだろうな……と唸ってしまうが、そこは今考えないようにする。
 
 各々人気の人たちとはいえ、ASTROLOGIAとしての動員数は未知だ。ここにいる誰も、何なら本人たちさえ分かっていない。ゆえにDeuilの大体の動員にプラスアルファで決めるしかないのだろうが、この八名が登場するライブなんてカスピ海くらいの広さがなければたちまち難民があふれかえり、この世が終わるということを理解していないのだろうか?
 だが「これだけしか入れない場」だと、そこまで把握したうえで仕掛けているのなら……。頭を抱える。チケット戦争は地獄になる。なに考えてんの。どういう判断だ。
 こんな会場設定したほうが何をどう考えても悪いのに、自分が「入れる側」になれたら、と期待してしまう気持ちが嫌なのだ。仕事とか放りだして今すぐ帰って酒飲んで寝たい気分になった。
 
 重くなった頭をなんとか支え、もう一度特設サイトにアクセスする。極力他の情報を目にしないよう、速やかにチケットサイトへ飛んで矢継ぎ早に個人情報を入力し、抽選に申し込む。 
「申し込みが完了しました」の画面が出た瞬間、手を離した。あとは何も見たくない。どうにでもなれ。
 申し込み完了のメールが届き、結果が来るまでの決して短くない期間、食事をしていても仕事をしていても風呂に入っていても寝て起きても常にうっすら「嘘かもな……」と思い、自分の手元に「当選」の文字が届いた時も「フィッシングメールかもな……」と思いながら端末の液晶画面を眺めていた。
 
 当落発表日のタイムラインは不気味だった。勢いだけで打ったような短い言葉が次々と流れていく。
 喜び、叫び、泣いてる顔のスタンプ、長文のツリー。
「キャパ考えろ」「早く機材席売れ」と言葉が強くなっていくと同時に「神イベ」「伝説じゃん」「運使い切った」の声も交差して、画面の中がうるさすぎた。
 その中、に自分がどの感情で立っていいのかわからなかった。画面をスクロールする指が止まる。自分の喜びで誰かの悔しさを踏んでしまいそうな気がして、投稿ボタンを押せなかった。
 タイムラインが流れていくのを眺めながら「自分も行くんだよな」と、何度も思い直す。
 SNSを閉じると同時、友人からメッセージアプリで連絡が来る。「取れた?」の三文字にただ「ある」と返すと、瞬きよりも短い時間で「私も」と返信があった。最高、と送信して会話のログを見返し、まるで暗号のようだなと笑って、そこでようやく今日一日の緊張がほぐれたように肩をなで下ろした。
 友人も取れていたことから存外に競争率が高くなかったのかと勘違いしそうになったが、現実は決してそうではなかったと知るのにそう時間はかからなかった。
 
 
 
 以下は当日のことですが、個人が趣味で書いているので、感想の分量に差があったり、記憶違いが生じているかもしれません。
 あしからずご承知おき下さい。
 
 
 
 会場付近には無限に人がいた。黒い服は多分Deuilのファンで、最近の若者っぽい明るめのテイストはASTROLOGIAの誰かのファンなのだろう。年齢も性別も趣味嗜好もばらばらの人間たちが隣接している状況が異質だった。
 密集する人の群れ、物販に並ぶ列、所々に掲げられた公演名のポスター、旗、フラワースタンドの数に、これから起こることが「現実」としての解像度を上げて押し寄せてくる。

 人並みに揉まれながら開演一時間ほど前に入場して自分の席に着き、改めてこの場所に収まる数を確認する。
 膨大。そう言っていい観客数であることだけは確かだ。席は埋まっていて、通路にもスタッフが行き来している。これほどの人が、と驚くべきなのか、たったこれだけの人しか、と言うべきかの判断は付けられない。だが当落発表後の「配信チケット販売」の告知で多くの人が留飲を下げたのもまた事実だ。
 誰も大声を出していないのに空気が騒がしい。時計の針が開演時間に近付いていく。幾度目かの注意事項のアナウンスが流れ、会場の照明が落ちる。
 めまぐるしく切り替わる巨大スクリーンの映像に呼応するように、今にも何かが始まるのを待って客席の全員が息を潜めている。

サンプルここまで

作成日 2025/8/24(Sun)
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