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No.282
絶対お花屋さんになってほしい 強い意志があります
ざくざく書きたいところだけ書くヴィルヘルムお花屋さんシリーズ
#小話
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自動ドアが開くと条件反射で呪文を唱える。パブロフの犬もこんな気分だったのだろう。
「いらっしゃいませ」
外の風と共に入ったきたのは人間だった。
首あたりまで髪を伸ばした、世界中の美を掛け集めて作ったような目鼻立ち。それ以外は不明だった。
辞書の完璧という項目には、この顔が載っているのかもしれない。
男だろうが女だろうが老人だろうが若者だろうが、造形が群を抜いて整うとこういう顔に辿り着くのだろう。
「失礼」
完璧の革靴が軽い音を立てて床を踏む。望む望まずに関わらず、容姿によって世間に振り回されてきた苦労を感じさせない落ち着いた低い声。
「花束を頂きたいのだが、頼めるだろうか」
「ご希望はございますか」
男は背筋を伸ばし、首を巡らせて店内を見渡すと、燐寸棒が三本は乗るだろう長いまつ毛が目に影を落とした。
「私が贈るにふさわしいものを」
近年稀にみる奇怪かつ面倒な注文が、まるでなんでもないことのように自然に飛び出してきた。
「かしこまりました」
一礼して引く。開いた冷蔵室の扉から冷えた空気が訪れる。
注文の主にふさわしいものとする場合、まず注文者を認識する必要がある。初めて見た相手だ。正体は不明で完璧。無理だ。であれば、外見や装いから推察していくほかない。
薄い体に合わせた洒脱なスーツはフルオーダーだろう。絹のような繊細な光沢の生地で着心地を追求したサルトリア。
足元は履き込まれた皺と艶のあるアルゴンキンフロントで飾られ、ジャケットの内側では簡素な銀十字が揺れていた。
もういい。視線を花材に切り替える。
嫌だ。
面倒くさい。
自分で考えてほしい。
この手合いは己の美学を持った怪物だ。
聞く必要がないことなど見れば分かるが、市井の花屋である自我が口に喋らせた。
「ご予算はいかほどですか」
「ご予算」
相手ははじめて聞く言葉を舌の上で転がすように笑った。
「気にしなくていい」
想像通りの回答に聞いたことを後悔し、頭が重くなる。
定期的に家に花を飾りに来る花屋くらい持っていそうなものだが、なぜこんな店に来たのか。
花束を作る間、男は地味な花屋の広くもない内装を見て回っていたが、そのうち飽きたらしく花を包むカウンターの前に立った。
対面からほんのわずかに流れてくる、流動的なスエードと塗れた石英のような匂い。温度を感じないそれは無菌的で、ありもしない不安を掻き立てられる。
私は黙々と白い花束を作っていた。茎を長く残して切る。巻きの強い薔薇の棘を落とす。薔薇とダリアを敷き詰めた圧倒的な白の画面に差し込まれる赤い葉のアルテルナンテラ。
ボリュームはあっていいが、派手でないほうがいい。白は清廉潔白などと称されるが、時に強く暴力的だ。そこに少しばかりの毒気があればいい。
「極めて個人的な質問をする。答えたくなければ結構」
包まれていく花たちから視線を外さずに男が言った。こちらは視線だけを返すことで相槌とする。
「君はなぜ花屋を?」
「花が好きなので」
「好きなものを売るのは辛いだろう」
「ええ」
男は満足したのか、それから再び黙って花束になっていく草花を眺めていた。
相槌だけの答えは会話と言えるものだっただろうか。
いつまで経っても花束にリボンを巻くのは気に入らない。好きではない。出来上がったのは豪奢な白い花たちの中に赤い葉が沈む花束。
白にほんの少し寄り添う赤は、皮膚を突き破った首から滴り落ちる赤に似ている。
「吸血鬼に噛まれた喉元のようだ」
男の囁きは誰にも向けられていなかった。私は自らの手元を見つめたまま、「お好みに合わなければ修正します」と呟く。
「いい。私からすれば少々地味だが」
私からすれば充分派手な花束を前に、眉目秀麗な男は形のよい唇に弧を描いて答えた。
会計を済ませる。こちらも価格について考慮しなかったために巨大な胡蝶蘭のような金額になったが、やはり男は意に介するでもなく普通に支払った。当然のように取り出されたのは完全招待制のブラックカード。
「領収書はいかがいたしますか」
「書きたいのか? 領収書」
どう見ても面倒くさそうな男が、ちゃんといちいち面倒くさいことを聞いてくるから暴れたくなる。書きたいも書きたくないもない。業務として客に求められれば書く。それだけだ。
だがこの男は書きたいのか、とこちらに聞いた。だから答える。
「嫌だ」
「では、結構」
風が吹いただけで折れそうな風貌とは裏腹に、男は花束の根元を片手で掴んで歩き去った。
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日記
2025/7/17(Thu) 21:43
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自動ドアが開くと条件反射で呪文を唱える。パブロフの犬もこんな気分だったのだろう。
「いらっしゃいませ」
外の風と共に入ったきたのは人間だった。
首あたりまで髪を伸ばした、世界中の美を掛け集めて作ったような目鼻立ち。それ以外は不明だった。
辞書の完璧という項目には、この顔が載っているのかもしれない。
男だろうが女だろうが老人だろうが若者だろうが、造形が群を抜いて整うとこういう顔に辿り着くのだろう。
「失礼」
完璧の革靴が軽い音を立てて床を踏む。望む望まずに関わらず、容姿によって世間に振り回されてきた苦労を感じさせない落ち着いた低い声。
「花束を頂きたいのだが、頼めるだろうか」
「ご希望はございますか」
男は背筋を伸ばし、首を巡らせて店内を見渡すと、燐寸棒が三本は乗るだろう長いまつ毛が目に影を落とした。
「私が贈るにふさわしいものを」
近年稀にみる奇怪かつ面倒な注文が、まるでなんでもないことのように自然に飛び出してきた。
「かしこまりました」
一礼して引く。開いた冷蔵室の扉から冷えた空気が訪れる。
注文の主にふさわしいものとする場合、まず注文者を認識する必要がある。初めて見た相手だ。正体は不明で完璧。無理だ。であれば、外見や装いから推察していくほかない。
薄い体に合わせた洒脱なスーツはフルオーダーだろう。絹のような繊細な光沢の生地で着心地を追求したサルトリア。
足元は履き込まれた皺と艶のあるアルゴンキンフロントで飾られ、ジャケットの内側では簡素な銀十字が揺れていた。
もういい。視線を花材に切り替える。
嫌だ。
面倒くさい。
自分で考えてほしい。
この手合いは己の美学を持った怪物だ。
聞く必要がないことなど見れば分かるが、市井の花屋である自我が口に喋らせた。
「ご予算はいかほどですか」
「ご予算」
相手ははじめて聞く言葉を舌の上で転がすように笑った。
「気にしなくていい」
想像通りの回答に聞いたことを後悔し、頭が重くなる。
定期的に家に花を飾りに来る花屋くらい持っていそうなものだが、なぜこんな店に来たのか。
花束を作る間、男は地味な花屋の広くもない内装を見て回っていたが、そのうち飽きたらしく花を包むカウンターの前に立った。
対面からほんのわずかに流れてくる、流動的なスエードと塗れた石英のような匂い。温度を感じないそれは無菌的で、ありもしない不安を掻き立てられる。
私は黙々と白い花束を作っていた。茎を長く残して切る。巻きの強い薔薇の棘を落とす。薔薇とダリアを敷き詰めた圧倒的な白の画面に差し込まれる赤い葉のアルテルナンテラ。
ボリュームはあっていいが、派手でないほうがいい。白は清廉潔白などと称されるが、時に強く暴力的だ。そこに少しばかりの毒気があればいい。
「極めて個人的な質問をする。答えたくなければ結構」
包まれていく花たちから視線を外さずに男が言った。こちらは視線だけを返すことで相槌とする。
「君はなぜ花屋を?」
「花が好きなので」
「好きなものを売るのは辛いだろう」
「ええ」
男は満足したのか、それから再び黙って花束になっていく草花を眺めていた。
相槌だけの答えは会話と言えるものだっただろうか。
いつまで経っても花束にリボンを巻くのは気に入らない。好きではない。出来上がったのは豪奢な白い花たちの中に赤い葉が沈む花束。
白にほんの少し寄り添う赤は、皮膚を突き破った首から滴り落ちる赤に似ている。
「吸血鬼に噛まれた喉元のようだ」
男の囁きは誰にも向けられていなかった。私は自らの手元を見つめたまま、「お好みに合わなければ修正します」と呟く。
「いい。私からすれば少々地味だが」
私からすれば充分派手な花束を前に、眉目秀麗な男は形のよい唇に弧を描いて答えた。
会計を済ませる。こちらも価格について考慮しなかったために巨大な胡蝶蘭のような金額になったが、やはり男は意に介するでもなく普通に支払った。当然のように取り出されたのは完全招待制のブラックカード。
「領収書はいかがいたしますか」
「書きたいのか? 領収書」
どう見ても面倒くさそうな男が、ちゃんといちいち面倒くさいことを聞いてくるから暴れたくなる。書きたいも書きたくないもない。業務として客に求められれば書く。それだけだ。
だがこの男は書きたいのか、とこちらに聞いた。だから答える。
「嫌だ」
「では、結構」
風が吹いただけで折れそうな風貌とは裏腹に、男は花束の根元を片手で掴んで歩き去った。
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